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「本質行動学」修了レポート(3)〜強すぎる他者評価〜
2020/05/16 カテゴリー: Column
2020年1月から3月にかけて毎週通ったエッセンシャルマネジメントスクール(EMS)!最後に提出するのが修了レポート。そのレポートは、どのように実生活や仕事に活かすことができたか、新たな気づきや改善した行動、導入した仕組み、その成果や課題、自分の深化(進化)した点を書くのが目的。その修了レポートで自分をあえて「りゅーた君」と名付けコラムで公開してみる。
大粒の涙、洞窟からの救出
もう一つ、EMS代表の西條剛央さんやEMS講師の花咲ともみさんが言っていた洞窟の中の自分。この自分を救えると目から涙がでるほどのもの。これは、前回の花咲ともみさんのステップを使っても自分ではなかなか発見できない事実。花咲さんのヒプノセラピーを受けることにした。
りゅーた君が不思議に思っているもの。それは、「自分はどこかさめている、自分は冷たい」という行動をとってしまうもの。これをテーマに理由を考えるセッションを試みた。気になっている過去のりゅーた君にダイブ。結果は、4人の洞窟の中のりゅーた君を救い出し、自分のお腹の中でニコニコ遊んでいる感覚をつかんだ。と、その瞬間に、大粒の涙がりゅーた君から溢れ出た。実に不思議な体験だ。
他者評価で自分を追い詰めていた
今回の4人は、記憶として認識をしていたが、セッション前は、なぜ、そうなっているかを分析しているような思考だった。そして、分析の中で、原因を意味づけることはできるが、その結果として、記憶の中のりゅーた君を追い詰めるだけのことになっていたような気がする。
それは、花咲さんが話しをしていた他者評価という視点だけで原因を追求しているようだ。セッション後は、分析や原因は横においておき、そこで頑張った、りゅーた君を「よく頑張った」と声をかけ、理屈ではない、そのりゅーた君自身をただ肯定することだった。
「自分の純粋な思い」vs 「他者評価」
ところで、元々のテーマである「自分はどこかさめている、自分は冷たい」という不思議なりゅーた君がなぜいるのかは、解決されたのか? りゅーた君は、他の父親に見られるような、子供の写真を壁紙にして溺愛するような行動を持たない性格だ。今回の自分体験では、4人の自分を救出した喜びにダブって、娘が駆け寄ってくるシーンを見る不思議な体験をした。
残念ながら、それくらい。しかし、この体験を通じての成果は、意図せずに現れる過去の自分の中にある悲しみや寂しさ悔しさを感じたとき、まずは、「頑張ったね」「寂しかったね」と現れた自分の肯定。そして、その時に起こっていた「自分の純粋な思い」と「他者評価」を冷静に認識してみることはできそうだ。
第2報に書いたマネージャの裏の関心の話しも以下に整理することができる。その頃のマネージャーで四苦八苦していた りゅーた君を「頑張ったね」と救い出し肯定すること、そして、隠れた父の「他者評価」である自分がそこで成功したい、役に立ちたいという認識を構造的に把握でき冷静に受け止めた。
➡︎次回は、「自分の肯定が人を肯定することにつながる」
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