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過去の自分を「頑張ったね」と抱きしめたい。龍太さんが教えてくれた本当の肯定。

2020/12/05   カテゴリー:

書き手:高城つかさ
1998年生まれ。家庭の事情で大学を中退後、2018年7月より本格的にライターとして活動開始。「言葉と人生」を掲げ、さまざまな人の人生を言葉という手段で届ける仕事をしています。さいきん興味があるのは場づくり。
site: https://taki-tsukasa.com/

 
わたしと龍太さんは、とある撮影で出会いました。そのときの龍太さんへの印象は、みんなに対しておだやかに接してくれる人。まだ撮影に慣れていないわたしにもやさしく話題を振ってくれ、しっかり目を見ながら話をしてくれました。心地よいテンポ感、というのでしょうか。相手の“間”を汲み取って話してくれる。ボールがしっかりと見える。そんなコミュニケーションが心に残っています。
 
取材のなかで衝撃的だったのが、エフェクチュエーションの話です。龍太さんが後日見せてくださった資料には、エフェクチュエーションのことを “今ある手段から新しい可能性を創造していくアプローチ”と書いてありました。
 
すぐ結果にしようとするがあまり、今ある手段や持っているものを見失いがちなわたしにとって、“今”を見つめながら新たな可能性を見出していくのは、挑戦してみたいことでもあり、難しさを感じていたこと。とても興味深い内容でした。
 
1年半の月日が流れ、今度はライターとして龍太さんとお話をする機会をいただきました。複業という生き方について伺うなかで、“今”を見つめる、エフェクチュエーションの話と結びつき、以前は“理解”で止まっていた内容が、“腑に落ちた”ことに、わたし自身の成長も感じられて、うれしかったです。
 
「編集の入っていない、そのままのコラムを書いてみませんか」とおっしゃってくださった龍太さん。そのお言葉に甘えて、大切な時間を記録させていただきます。
 

 
わたしは、いつも自分が自分でないような感覚を持っていました。浮遊している、といったらいいのでしょうか。いや、自分の身体と心が一致していなかった、という方が的確かもしれません。
 
幼い頃から、いつも「こうあるべき」という考えを持っていました。たとえば、「姉だからこう振舞うべき」だとか「何かをやるなら、しっかりと結果を残すべき」だとか。愛情たっぷりと、自由に育ててもらったけれど、同時に、いつも完璧な母や親戚を見て、プレッシャーを感じていたのだと、今振り返ると思います。
 
両親の離婚後、父親が払える状況にいるにもかかわらず養育費をくれなかった経験から「大人になったら女手ひとつでも子供を育てられるくらい大きくなる」と宣言していたし、そんな母が再婚という幸せになる道を選ぶことになったときも、複雑な気持ちは抱えていたけれど、「娘なんだから、母親の幸せを願うべき」と、自分の本心を封じ込めていたわたしは、いつも「こうあるべき」という型にハマろうともがいていたのだと思います。けれど、身体は素直。ストレスを感じるとすぐ月経が止まるし、不眠症になったり、高熱が出たり、身体がまるで「心と直結しているんだ」と訴えかけるような症状が出ることが増えました。
 
ようやく、まわりの人たちのおかげで、自分の身体と心、両方をケアできるようになってきた22歳、秋。龍太さんとの対話を経て、そんな過去の自分を「頑張ったね」と抱きしめたくなりました。
 

 
龍太さんとの取材は、いつも雑談から始まります。印西グリーンベースで行なわれた取材では「ドトールのコーヒーなんですけど」と、コーヒーの話からスタートしました。1年半も経つと、友人であっても「久しぶり!」と、つい空白の期間の穴埋めをしようとしてしまうけれど、すっと空間に溶け込める空気づくりに、やさしさと、やわらかさを感じました。

「仕事も、“対話”から始めることを大切にしたいです」

“対話”・“雑談”という言葉を、取材中、龍太さんはよく使っていました。いきなり仕事として始めるのではなく、相手の話を聞き、自分なりに答えてみる。そのまま終わることもあれば、最終的に仕事につながることもある——。 すべては、“対話”から始まる、と。
 
「これも雑談のひとつなんですけど」。そう言いながらテーブルの上に置いてくれたのは、今年の3月に出版された『多様な自分を生きる働き方』。本には、複業には3つの資本があると書かれていました。それが、金融資産(お金)・人的資本(スキル)・社会資本(つながり)の3つです。

「たとえば、道端でおばあちゃんに何かをして『ありがとう』と言ってもらえるのも含めて、全てが貯金になるという考え方を持っていて。まず関心があって、その先に仕事があったり、『ありがとう』につながったりする。それを“資本”として積み重ね、貯金していくんです。“仕事”というと敷居が高いけれど、行動を起こして、何かを与えたり、得られたりする感触をもったら、それはもう“複業”だと思います」
 

龍太さんの考え方は、未来よりも“今”を見つめているのかもしれない、と思いました。もちろん目標があったり、やるべきことはあったりするけれど、毎日畑の様子を見に行くように、自分の“今”と対話しているのではないか、と。生きているだけで何かにつながっていると思うと、すぐお金にならなくても、結果として実らなくとも、“今”を大切に生きようと感じられるのかもしれません。
 
では、“今”を大切に生きるには、どうしたらいいのでしょうか。

「大切なのは、考えること、感じることだと思っていて。僕は『やってあげよう』というよりは『心地よいからやっている』感覚なんです。たとえば、朝、井戸水に手を当ててきれいにする。それと一緒にお皿をきれいにすると気持ちいい。“心地よい”という感覚からお皿洗いという“行動”につながっていく、というか」

話を聞きながら、これまでわたしは、自分にとっての心地よさを感じずに生きてきたことに気づきました。「これが気持ちいい」だとか「これがやりたい」だとか、そういう気持ちを持ちづらかったのは、幼少期、自分の気持ちよさとは関係なく「ありがとう」を言わなければならない環境にいた影響も受けていると思います。「ありがとう」も、“伝えたいから言う”というよりも“言ってほしいと思っているから伝えるべき”という感覚がどうしても拭切れないのです。ポジティブな気持ちであっても「こうであるべき」という型にしばられてしまっていました。
 
それはいつも、“未来”を見据えていたからなのだと思います。なりたい姿、あるべき姿。それを見つめるがあまり、“今”の自分のしんどさや苦しみを無視していたのかもしれません。本来は、“今”の自分に声をかけながら積み重ねていくものを、無理して爪先立ちを続けてしまっていました。
 

 
そんなわたしに、龍太さんはこう話してくれました。

「それは、生きるために必要なことだったんだと思いますよ。感覚を研ぎ澄ませるとうまく生きていけない環境があって、作戦としてそうしてきただけで。それを否定する必要は全くないと思います」

“環境”という言葉に、最近は「自分も気持ちいいし、それで相手も気持ちよかったら良いよね」というスタンスの人たちに囲まれていること、そんなみんなが引っ張ってくれていることにも、気づきました。
 
ひとのやさしさに触れたとき、それが心に届くまでが遅かったり、鈍かったり、気持ちよさを感じづらい、どこにいても自分の居場所だと思えないわたしが素直に心地よさを感じられるようになるまで、少し時間はかかるかもしれないけれど、そのさきには素敵な出会いが待っているんじゃないか、と未来への希望が見えました。
 
でも、龍太さんの行動軸は“心地よさ”だけではありませんでした。

「ふたつで表現すると、僕のなかには“自分が心地よかったり、ワクワクするから始まる行動”と、裏の関心というか、“この人にこう肯定してもらいたいからやる”という行動があって。どちらも大切だし、何より、それを意味づけることが重要だと思います。もう一人のつかささんが斜め上あたりにいて『今はこんなつかさいるんだよね』と俯瞰して見つめて、意味づけすることで腹落ちすると思いますよ」

正解・不正解を決めたり、過去を否定したりするのではなく、そのときどきの目的を言語化していく。「これはワクワクするからやっている」「これはあの人に認めてもらいたいからやっている」……。そうやって認識することで、手段も見えてくるし、今の自分がどれだけ不安でも、悲しくても、そういう自分も受け止められるのではないか、と感じました。
 


「僕にとっての肯定は、頑張ったね、大変だったね、と言えることですね。いい方向に向かったらいいけれど、もしダメなことがあったとしてもそんな自分を『頑張ったね』と言うことが大切だというのが、最近の気づきです。つらかったり、寂しかったりする感情に接したときに『それ、ダメじゃん!』と思うかもしれないけれど、『頑張ったね』という言葉を自分にかけてあげられる自分でありたいです」

終盤、龍太さんは「今、いい顔していますね」と笑ってくださりました。それを聞いて、なんだか嬉しくて、思わず涙腺がゆるんでしまったのはここだけの話。
 
成長するにつれて、過去の自分をネガティブに捉えていたのかもしれない、と帰りの電車の窓から景色を眺めながら考えました。いろいろなことを乗り越えて、自分の心地よさだったり、楽しさだったりに素直に生きられるようになった、もしくは生きようとしている人たち——そのなかに、龍太さんも含まれます——と出会うたびに、過去の自分がちくりと傷ついていた、というか。けれど、“今”を見つめる大切さと、最後に「頑張ったね」と言えることが肯定なのだと教えてもらい、まずはどんな自分も、どんな過去も受け入れていきたいと思いました。
 
すべてつながっているからこそ、意味づけをしていきたい。そんなことを考えた、大切な時間でした。
 

Text by 高城 つかさ, Photo by 高城 つかさ & Ryuta Nakamura

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